逆に僕は、サービスの終わりを看取ってみたい。
5月 17th, 2009
……そのほうがいいのかな、という思いもあるんです、
「自分にとっての終わり」が、サービス終了という「場の終わり」よりも先に来るほうが。
自分は業(ごう)を抱えたまま、先にサービスの終わりを”看取る”というのはね、やっぱり、精神衛生上よろしくないのですよね……
どっちかというと、一時罹る熱病、であると……: CONCORDE
なるほどなぁ。言及ありがとうございます。FC2ブログのエントリに言及していただいたのですけれども、WordPressの方からお返事しますね。
「業(ごう)」ではなくて「業(ぎょう)」もあるよねっていうのは、そうですよね。スパムブログをざっくり排除して1000万blogなので、「業(ごう)」の人も「業(ぎょう)」の人も、じつはあと600万ブログぐらい増えるかもしれないです。恐ろしいことです。
それはさておき、「WEBで書くのはもういいかな」って思う人がいるのは理解できるつもりです。だから、一時的な熱病で、いつか卒業するものなのかもしれないです。
サービス終了を実際に看取った経験から仰られているので、きっとそうなのだろうなぁと思います。看取るといえば家族を連想します。僕は誰かしらのお世話になって看取られて焼かれて埋葬されることは理解しているのだけど、できたら家族は看取ってから寿命がくるといいなと願っています。
自分が利用しているサービスは家族ではないから、看取ることの意味も違うかもしれないけれど、僕はできたら「業(ごう)」を抱えたまま、サービスの栄枯盛衰を見届けて、時にはサービスの終わりを看取ったりもしたいと考えています。
看取った結果、同じ結論に達するかもしれないのですけれども。看取ることができるのは、幸福なことじゃないかなと感じたので記事にしました。










